愛知県刈谷市にある浄土宗西山禅林寺派の寺院です

長善寺縁起

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長善寺は、もみじと「みかえり阿弥陀」で有名な
総本山永観堂禅林寺(京都市左京区)を本山とする
浄土宗西山禅林寺派の寺院です。

名称を「瑞林山境光院長善寺」
(ずいりんざんけいこういんちょうぜんじ)といいます。

長善寺の開山は永正16年(1519)まで遡ります。
現在まで約500年の長きに渡り、法然上人と
その高弟証空上人の教えを受け継ぎながら、お念仏の法灯を掲げ続けています。

長善寺第20世 鍐空観堂上人は檀林祐福寺第63世貫主、総本山永観堂第86世法主に挙がられ
宗門、並びに長善寺の興隆に大きく寄与されました。また書、絵、彫刻など多数の遺作を遺されました。

◆長善寺縁起◆

永正16年(1519年)
撮智立公上人により、愛知郡部田村(現在の愛知県東郷町)にある
檀林 玉松山祐福寺の塔頭として建立される。

寛永年間(1624~)
西境村の浄土信仰者の懇願により、西境村の境川の東、酒井神社南方に
移建され、浄土信仰の道場となる。

延享2年 (1745)
度重なる水害や湿地のため、堂宇も痛みが激しく、第9代待空文敲上人により、
現在地へ移築される。

創立以来、浄土他力の念仏門の道場として現在に至る。山号を瑞林山と号す。(現住職で22代目)

 

参考   「明和の水害」  長善寺移転・・・前山部落の始まり

 

明和4年(1767)7月10、11、12日の3日間にわたり、大雨が続いた。 この雨は洪水となって境川・草の池の堤防を破り、多数の家屋を侵した。 溺死するものは多数で長善寺過去帳によると6人となっている。(災害全体で13人)
これがため、長善寺は水害の翌年の明和5年(1768)30余軒の民家とともに前山の地へ引越して来た。 これが前山部落の始まりとなるというのが通説である。
この通説はよく信じられている説であるが、事実は以下の通りである。 当時の長善寺住職であった第9代待空上人の墓碑には上人の自撰により長善寺移転の詳細が刻まれている。
刻まれた銘文によると、・・・・

「長善寺が西境に移転してから長い年月が過ぎ、柱も土台も朽ちてしまった。これは地面が境川に近く、湿りやすいためである。地面の乾燥した場所へ移るのが一番よいということになり、幸い檀家の中野重兵衛という人が400余坪の土地を寄進された。そこで、延享2年(1745)に長善寺は前山に移転した。」

待空上人の墓碑によると、長善寺の移転の22年後に水害が発生している。
水害に懲りた人々が長善寺周辺に引っ越してきたのが、前山の始まりである。

◆長善寺歴代上人◆

開山     撮智立公上人    第二世    深空意珍上人
第三世    本融清円上人    第四世    月空円索上人

開山塔

第五世    了空須道上人    第六世    演空万説上人
第七世    相空説傅上人    第八世    貫空廓道上人
第九世    待空文敲上人    第十世    敬空舜道上人
第十一世   仁空舜山上人    第十二世   導空準倫上人
第十三世   三空準戒上人    第十四世   龍空準学上人
第十五世   聖空準教上人   第十六世   三空準戒上人
第十七世   相空準整上人    第十八世   天空準祐上人
第十九世   念空観宗上人    第二十世   鍐空観堂上人
第二十一世  徳空万堂上人   第二十二世  兆空一堂現住

葬儀・法要・供養のことお気軽にお問合せください TEL 0566-36-8386

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