本堂
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七間四面 木造 入母屋 本瓦葺
文政10年(1827) 長善寺第12世 道空準倫上人代に再建
再建にあたり、村の多数の若衆連が、遠く他村まで鉦を叩いて念佛行脚し多額の寄付を集めた記録が残る。
平成4年 瓦吹替、堂内修復の大修理完了
ご本尊 阿弥陀如来
平安時代作 檜材一木造 (伝 春日仏師)
御祖師像
善導大師 法然上人 西山上人
須弥壇納骨堂
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本堂のご本尊の須弥壇内に納骨する分骨用納骨壇です。
ご本尊に一番近い場所で永年に渡り供養されます。
檀信徒様専用
山門
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明治26年(1893)長善寺16世 三空準戒上人代に建立
庫裏
嘉永2年(1849)年建立の旧庫裏を平成14年 徳空万堂代に改築
檀信徒会館
令和3年4月完成 スロープを使用して、境内 ⇒ 会館 ⇒ 本堂へと車椅子で参詣できる。
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多目的トイレ、シャワールームも完備
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葬儀・法要時には親族控室として利用(宿泊可能)
普段は参詣者の憩いの場として開放
鐘楼
安永2年(1774)建立
平成20年 屋根及び土台を改修
寛政10年鋳造の梵鐘は戦争で供出後、昭和25年に新たに鋳造
金毘羅堂
天保6年(1835)建立 第12世 道空準倫上人代
平成31年(2019)大修理
長善寺の鎮守 金毘羅大権現を祀る
家内安全・水上安全・身体健全・諸願成就
毎年11月23日に金毘羅祈祷祭として大般若転読会が開催される
観音堂
長善寺第20世鍐空観堂上人が自ら彫った木彫りの観音像が多数安置されています。
四尼僧入水往生供養碑
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長善寺門前に高さ5尺、幅3尺5寸、厚さ5寸の供養碑が建てられています。
この碑は慶応元年(1865)10月15日に、4人の尼僧が西境の庵に集い、末世末法の虚偽と罪悪に汚れ果てた現世を厭い、弥陀の浄土に永遠の命を求めて、念仏を称えながら薮田(豊明)の又池に入水往生したことを記す供養碑です。
4人の三回忌にあたり、公阿上人によって又池の池辺に建てられていたものが、時を経て当寺に移動したものです。
4人のうち、2人は西境の出であったこと、4人の師僧である亮光上人と当寺12代の準倫上人が親交があったことから当寺に移動してきたものと思われます。
うら若き10代、20代の尼僧が世を厭い浄土往生を願い入水往生されたことを後世に伝える碑です。
~一部抜粋~
生けるものおしとおもえるもの命にまされるはなしとなん。さるを鳴海の山中亮光の弟子なりける四人の尼僧たち 世を厭ふ心深くして命を捨て往生を欣びしこそいいしらずいみじき事なりけり。そのおこないおわりのさまなど遐代に伝えまほしと人のいふままにいささか書き付く。・・・・・
時に慶応元年十月十五日 西境村亮順尼の庵につどい清らにゆあみして励声念佛して後、しのびてここに来りて池に身を捨て同じさまにおわりぬ。その夜 光明彩雲を面見し、奇瑞を夢見せし者多し事は専念往生伝二編に詳かなり。此碑をよまん人 末法万年の時までも弥陀の利物なほ盛んなりと思念し、一向に念仏して八功徳池の花台にあうべし。
徳本上人名号碑 地蔵菩薩像 仏足石 大楠(樹齢350年)